** ……俺は。 * 父さん、母さん。 俺は、これまでの人生で、何度も二人に情けない姿を見せてきました。 小さなガキだった頃も、学生だった頃も。 なりたてとはいえ大人になった今も、変わらないと思っています。 だから。 この愚息の、どうしようもなく情けない様を、どうか聞いていただけませんか。 ……俺が今の目標を認識した日から数日経ったある日、シンボリルドルフにまた呼び出されたのです。 話したのは、テイオー……彼女についての事でした。 「テイオーの調子はどうか」「最近変わったことは無いか」 ……聞かれた事は、シンボリルドルフの右腕であるエアグルーヴに話す事と、ほとんど同じなのです。 ですので、同じように返していました。 「良好です」「特にありません」と。 「ふむ、そうか」 満足そうに頷いたシンボリルドルフは、俺に聞いたのです。 「……回りくどい事はやめて、単刀直入に聞こう。君は、テイオーの事をどう思っているんだ」 * 質問の意味が、いまいち掴めませんでした。 彼女の事をどう思っているか。 俺が担当するウマ娘。誰よりも幸せにしたい人。 浮かんだ答えは、何個かありましたが。 ……シンボリルドルフが何を聞きたいのか、わからなかったのです。 ここまでに浮かんだ物は、目の前の人物が求める物とは違う気がして。 うまく考えが纏まらず口を閉ざし続ける俺を見て、シンボリルドルフは再度聞きました。 「質問を変えよう……君は、テイオーにとっての何だ」 今、俺は、彼女の……。 この質問に対しても、答えは幾つか浮かびました。 ですが……胸を張って言い切れるのは、一つだけでした。 「俺は、テイオーのトレーナーだ」 ハッキリと、言い切りました。 彼女にとって、俺はトレーナーだと。 これだけが。間違いなく俺が言える事だと。 * ……返ってきたのは、射殺さんばかりの圧が籠った視線でした。 皇帝、シンボリルドルフ。 本当ならば。俺なんかでは、こうしてすぐ側に立つ事も許されざる存在。 そんな存在に、睨まれた。 ……臆するのを、抑えきれなかった。 彼女と共に過ごす内に、忘れていた。ずっと、彼女が忘れさせてくれていた物が。 失敗したという実感が、俺を貫きました。 目も、口も、動かせずにいる俺に。 シンボリルドルフは、告げたのです。 「テイオーは、愛する者と結ばれた」 一瞬、何を言っているのか、わかりませんでした。 ですが、脳が理解しようとそれを噛み砕いている間にも、時間は過ぎていきます。 「テイオーが幸せになる道に、もう君は必要無いだろう」 何も言えず立ち尽くす俺に、そう告げて。シンボリルドルフは去っていきました。 * ……俺は。 俺は、彼女の幸せには、もう必要無いのです。 そうです。万が一、今後レースで勝てなくとも。どれだけ辛い道が待っていようとも。 彼女の愛する者が、彼女を愛する者が、支えてくれる。 それなら、そうだ。俺は、もう要らないでしょう。 考えてみれば、当然の帰結でした。 そもそも彼女の歩む道には、俺の力は届かない。 俺自身、ずっと言ってきた。彼女には、俺なんかでなくても良いと。 幸せに笑うテイオーの側に居たい。 掲げた目標は、なんて滑稽でしょうか。 俺の目標なんて言っておきながら。これは、彼女を巻き込んだ俺の我儘ではないですか。 なにせ、実力不足の情けない存在なのですから。 彼女の才能の恩恵をただ浴びるだけの存在なのですから。 なら、俺はもう、彼女には必要無い。 * ……だけど。 違う。 違うんだ。 こうして書いて、ようやくこの感情が纏まってきた。気づいてしまった。 俺は、幸せに笑うテイオーの側に居たいんじゃない。 シンボリルドルフに、俺はテイオーには必要無いと言われたその時から。 ずっと、胸の中で暴れる物がある。 それは、テイオーの笑顔を思うと強くなって。 けどそれが、俺じゃない誰かのおかげと思うと、苦しくなる。 あぁクソ。なんで気づいたんだよ。 俺が、テイオーを幸せにしてやりたいんだ。笑顔にしてやりたいんだ。 * テイオーの走りが好きだ。 テイオーの笑顔が好きだ。 テイオーが俺に向けてくれる笑顔が、何よりも好きだ。 俺は、テイオーが、好きなんだ。 学生の頃にも、嫉妬する事なんて何度もあった。 勉強も、運動も。努力はしているのに、どうしてアイツだけ。 だけど、これは違う。それらよりも、ずっと深く、胸に突き刺さる。 けどもう、無理なんだよ。 テイオーには好きな人が居て、もうとっくに結ばれているんだ。 ちくしょう。なんだよこれ。 努力なんかじゃ、どうしようも無いじゃないか。 気づいた時には、終わってたんだ。 * 俺は、怖い。 自覚してしまったその時から、堰を切ったように溢れてくるこれが、怖い。 あぁそうだよ、俺は馬鹿だ。 自分の感情にも気づかず、テイオーの側で驕っていた才能の無い馬鹿野郎だ。 だから、俺が無様を晒すなら、別に良い。 気づかぬ内に失恋したマヌケだって幾らでも馬鹿にされてやる。その全部を受け止めてやる。 けれど。 これからテイオーを笑顔にする誰かの事を考えると、胸を満たすこれが。 この想いが、胸を握りしめてグチャグチャにしてくるこれが、いつか。 今は耐えられても、いつか耐え切れず、外に溢れ出したら。 溢れだしたこれが、テイオーの道に、薄汚い泥を零したら。 それが、何よりも怖い。彼女の幸せを曇らせる、爆弾になってしまうのが恐ろしい。 誰よりも愛しいテイオーに、影を落とす存在になりたくない。 だから。 * 俺は、次のレースで、テイオーの担当を降りる。 ごめんなさい。父さん、母さん。 あの日、故郷から出る選択なんてしなければよかった。 こんな男が、中央に憧れを抱かなければよかった。 俺はどうしようも無い屑で、馬鹿で、無能です。 ごめんなさい。 *