(1) 最初はしつこい男という印象だった それが時が経つにつれ私は彼に信頼以上の思いを寄せるようになっていた 最近の言葉でいうところ「チョロい」というものなのだろう しかし私の思いは叶うことはない 彼への想いを自覚したころひとつの情報を耳にした、トレーナーに彼女がいるということを 生徒会に所属している以上有益か否か関係なく様々な情報が入ってくる 心は穏やかではなくこの時ばかりは副会長である立場を呪った だがこればかりはどうにもならないだろう トレーナーとはあくまで良きパートナーを貫こう 自分にそう言い聞かせた 日曜日、あいにくの土砂降り トレーナー室に訪ねに行くと外出中というプレートが扉にかかっていた どこにでかけているのだろうか、噂の彼女とやらとデート中なのだろうか 私の中で焦燥が起こる、断ち切らねばと何度も思っても消えない 花壇でも見に行こうか・・・私は心安らげる場に救いを求めに行った 当然外には誰にもいない、そのはずだった 花壇の前に傘もささずにずぶ濡れになったトレーナーがいた 一体何をしてるんだと声をかけるとトレーナーは驚くように振り向いた 「あ、ああ花壇が心配になって」 「だからって傘ささずに出る奴がいるか、風邪を・・・」 そうして近づくうちに違和感に気づく トレーナーの服装は明らかに余所行きの服装 控えめだが装飾品もつけている 顔を見ると目は充血し腫れぼったく鼻水も垂らしている 「貴様・・・何かあったのか?」 トレーナーは喉に詰まったような声を小さく出した なにも言わずにただ私の方をなぜか申し訳なさそうに見る 言えないのなら私が切り出すしかない 「私は貴様に何度か弱みを見せた、それは貴様を信頼しているからだ  その貴様が私に弱みを見せないのは私を信頼していないことになるぞ」 トレーナーが下唇を噛む 「責めるつもりは毛頭ない・・・こういう時こそ頼ってくれ  私は貴様のパートナーなのだ」 その言葉に反応したか彼から嗚咽の声が出始めた 世話が焼ける、私は傘をトレーナーに傾けた トレーナー室に戻りタオルを渡すと頭を拭きながら 彼はぽつりぽつりと泣いていた訳を話し始めた 今日は久々に彼女に会いにいったとのこと 喫茶店で待ち合わせ彼女を待っている間 彼は前々から話していたトレーナーの仕事のことや 私のことも話そうと思っていたらしいが いざ顔を合わせると彼女からいきなり別れ話を切り出されてしまったようだ 彼女曰く「仕事に夢中になって自分を疎かにしてるのが嫌になった」と 彼のダメなところを全部出された後 呆然とした彼を置いてその女は立ち去ったという そうして心がぐちゃぐちゃになったまま学園に戻ってきた 「情けない話だよな、笑ってくれ」 「馬鹿者・・・笑えるわけないだろう」 笑えるわけがない その話を聞いて私は…一瞬「僥倖」という二文字が浮かび上がったから 女帝たる私が己のパートナーの不幸になんと醜い思考を それでも、それでも・・・彼女に見捨てられ弱弱しくなった彼を 自分のものにして良いのなら私は、私は 「・・・それで、どうしたい?」 意思確認をしてしまった 「どうしたいのかな・・・無理なのは分かってるんだけど  復縁したいなって思う気持ちもあってさ」 ああそれは分かっている、人への想いはそう簡単に断ち切れるものではない 「ああくそ・・・彼女の顔が今でも思い浮かぶんだ、最後に見たのは去り際でさ  出入口のドアノブに手をかけた時に振り返って俺の顔を1分ぐらい見つめたんだ」 俺のマヌケ面でも見たかったのかなと自傷気味に言い、また泣き始めるトレーナー 待て そういうことなのか? 顔も知らぬ、素性も知らぬ、その女に私は心の中で聞いた 別れ話を切り出すなら普通は「さようなら」と言ってさっさと去るべきだろう それなのにトレーナーの良くない点を全てダメ出しをして去り際に顔を見つめていた? 「仕事に夢中になって自分を疎かにしてるのが嫌になった」と貴様は言った もしかして・・・それで、彼が変えようとでもしたのか?変わるとでも思ったのか? 去り際に顔を見たのは引き留めてほしかったからか?そういう確証でもあったのか? 阿呆が こんな女相手に最初からこいつを諦めてた自分を殴りたくなるが、その前に決意せねば お前如きに私の愛しい人は渡さん 「悲しいことを言うようだが諦めるしかないだろう」 「だよなあ…ごめんくだらないこt」 それ以上は言わせるものかと私はまだ泣く彼を抱き寄せた 「新しい恋を探してみるのはどうだ?身近な女はいるぞ」 トレーナーが泣き顔から呆気にとられた顔になる 阿呆面を晒しおって・・・だが、今はその面も愛おしくなってしまう 「大丈夫だ・・・貴様には私がいるぞ」 愚か者の女に見捨てられ雨に打たれて弱まっていた 彼の心臓の鼓動が私の胸に伝わってくる 抱きしめる力を強くするとその鼓動が早くなる 私のことを意識してくれているのだな 心臓の鼓動が私の体内へ心臓へ伝わり 私の彼への気持ちをますます肥大化させる もう我慢ならない、今の私は女帝ではなく 一人の男を奪い取るべく動く卑しい女だ 彼の顎をあげ唇を奪った 初めての口づけの味はきっと喫茶店で飲んだであろう紅茶の香りがほんの少しした 仮にトレーナーがその女を引き止めでもしていたら この唇はまたその女に今日も奪われていたかもしれない そう考えると上書きせねばという欲望に駆られる ほんの少しだけ唇の空いたところから私の舌を侵入させた トレーナーの体がびくんと震える 私を感じてくれている、今だけは私のみを意識してくれる 彼が私だけのものになっていると思うと頭の中がトロトロに溶けたチョコレートのようになっていく メールで口づけをねだるメジロマックイーンはいつもこのような甘美を求めていたのか もっと、もっと感じて、感じたい!トレーナーの舌を捉え強引に絡めとった トレーナーの舌は遠慮がちではあったが私の舌を拒絶はしなかった 彼の唇と、そして舌がもたらす多幸感は私の息が切れるまで続いた 唇を離したあとの彼はもう泣いていなかった それどころか顔を赤くさせ恥ずかしそうに俯いていた 「シャワーを浴びてきたらどうだ?」 トレーナーが小さく頷く 「戻ってきたら今後のことを話し合おう」 トレーナーは私に「ありがとう」と小さい声で言って部屋から出た どうせならもっと私たちの関係を深める返答を聞きたかったが がっつくのも今のトレーナーの心身を考えあまりよろしくない これぐらいで良い、今までのことを考えれば十分すぎる成果のはずだ これ以上のことは他のウマ娘とトレーナーのカップルを見ながら研究しよう トレーナーが使ったタオルを回収しようとした時 彼が使っているスマホが置き忘れていることに気づいた 同時にスマホに着信音が・・・画面に"彼女"の文字が出ている ああやはり 引き止めもしなかったトレーナーに業を煮やし自分から電話をかけるとは とことん愚か者の女だ、トレーナーにどこに惹かれてこの女と付き合ったのだ?と問いたいぐらいだ だがしかし、残念だったな・・・スマホを取り拒否のボタンを押した 幸いなことにパスワード入力はなかったので通話履歴も楽々と削除できた、着信拒否もしておこう ここから先、この女が完全に諦め切るまで彼とこの女の繋がりは全部断ち切るのだ 根気強さが求められるだろうが大した苦ではない レースでも恋でも 私たちウマ娘は自分の勝利に貪欲なのだ (2) あの日曜日から少し経った休日のトレーナー寮 私はトレーナーの部屋の掃除を手伝った ただ部屋自体は散らかっているわけではない 整理整頓はこまめにしている、掃除するのは この前別れた(ということになっている)彼女との思い出の品だ 彼女への未練がまだ残っているだろう彼の気持ちを 整理させるべく私の方から提案したのだ 別に嫉妬心から捨てるとかそういうものではない 全ては彼のこれからのことを考えての発案である、疑うな 部屋中にある思い出の品を一度に集めるとそれなりの数にはなった これらの分だけトレーナーと彼女の間に思い出がある そう思うと胸がチクチク刺されるかのように痛くなる だから早く捨てよう、もう貴様にはいらないものだから 「・・・初めて買ったものだったかな、これ」 しかし一つ残さずかき集めたまでは良かったのだが 肝心のゴミ袋に詰める作業で止まってしまった トレーナーが小さな指輪を見つめた 「ペアリングだったはずだ」 「ならもうひとつはとっくに捨てられているだろうな、女は切り替えが早い」 否・・・私はウソをついた 切り替えが悪い女も中にはいる そうだろうなと私の言葉に同意はするがゴミ袋へ一向に入れない 「ごめん、こんな時に・・・女帝のトレーナーたる奴が未練がましいとは情けないわな」 「責めはせん」 私だってこの件に関してウソをついたし隠し事もした お前が未練がましい男なら私は卑しい女だ・・・さほど差異はない とは言っても 思い出の品はトレーナーの前から そして私の視界から確実に消し去りたい これを捨てられない理由が未練によるもので 断ち切るのが難しいなら 「こっちを見ろ」 その未練を抱く心をあやふやにしてやろう 私の方に向けたトレーナーの顔に手をあて あの時と同じように唇を奪った トレーナーは拒否しない 「すまない・・・だが私としては悔しいんだ  私はお前とその女性との間に思い出の品というものがないから」 これもウソだ 私はそんなもののあるなしにこだわったりはしない、本当だぞ? キスが終わった後のトレーナーは 先ほどとは打って変わってもくもくと思い出の品を ゴミ袋の中に入れていった 成功した、私は卑しい女らしく心の中でほくそ笑んだ 最後に捨てるのは写真立てだ、私は初めて女の顔を見た それなりに美人かもしれないが過去の女だ 彼は写真立てから写真を取り出すと思いきり破いた この行動には少し驚いたが 「ごめん驚かせて・・・こうした方が余計に思い出さずに済む」 ああそうしてくれると助かる あの女の顔を二度と思い出さないようにしてくれ 貴様が思い浮かべてよい女の顔は私だけにしたいのだ そうすれば貴様の心の空いた箇所に 私を次々と埋め込むことができるから 全てを詰め終わりゴミ置き場に捨てると彼から食事に誘われた 今日の整理に手伝ってくれたお礼と・・・思い出作りにとのこと 別に思い出に固着してるわけではないが私を想ってくれる気持ちは素直に受け止めよう トレーナー寮に戻り彼の着替えを廊下で待っている間に 私はそれとなく近くの集合ポストを見た 彼のポストを開けると彼宛に一通の手紙を見つけた 差出人はあの女からだ 私は思いきり破り捨てた 着信拒否で連絡手段を断ったら次は手紙を寄越してきたか 内容は見なくても分かる もう読むことすら不可能なほどに破ったころに彼が出てきた 「なに破り捨てたんだ?」 「ピンクチラシってやつだよ、いらないだろう?」 うんと特に気にせずに言う彼 そう、あんな手紙はピンクチラシと同じだ 女などもう必要ないだろう 貴様には私がいるんだから (3) 彼女への未練を無くすべく思い出の品を捨ててから またしばらく経ったとある休日 私はトレーナーの自室で彼と一緒に休日を過ごしていた それなりに捨てたものだから生活スペースに余裕が出たのだ 一度精神がへし折れたトレーナーを心配して、という建前で 私は休日にはこの部屋にお邪魔するようにしている 一応サイフに万が一の・・・があるが未だに未使用だ、おのれ とはいっても一応進展はある 最初は私が休日も部屋に訪れることを戸惑っていたトレーナーも 今では私が来るたびにお茶菓子を出してくれるほど 私が部屋に来ることに疑いすら持たないでいてくれている そのうち歯ブラシやコップにパジャマなどの生活必需品を 他の者にバレない程度に持ち込むことも可能ではないだろうか この日はテレビを二人でずっと視聴していた 静かな雰囲気も悪くはないが出来ることならもっと関係を深めたいという気持ちもある こういう時学園一バカップルのメジロマックイーンと彼女のトレーナーなら どうやってイチャイチャにまで持っていくのだろうか?明日聞いてみよう トレーナーの方を見ると彼はテレビを見ながら耳珠を指で擦っていた 「耳の中痒いのか?」 「え?分かる?」 素っ頓狂な声を思わず出すトレーナー 当たり前だろう、毎日貴様のことを見ていれば 癖だの考えてることだの分かることも増えていく こっちはなるべく早くあの女よりもずっと貴様を理解する存在になりたいのだ 「掃除してやる、さあ来い」 何度か出入りしてるので耳かきがどこにあるかも分かっている 耳かきをペン回ししながらトレーナーを私の膝上に誘導した トレーナーの頭が私の膝上に乗るとその重さ分の幸せを感じる それだけで幸せを感じるのはチョロいのでは?と思う者がいるかもしれないが ついこの間まで彼女がいてその女に愚かな打算で見捨てられて ヘタすれば女性不信になってもおかしくない男が 私にここまで気を許してくれているのだ 幸せを感じずにはいられないだろう ウソだと思うなら耳掃除してみろ 頭を撫でることだってできるのだぞ かり・・・かり・・・と耳の中を掻くたびに彼が 私の膝上でんっんっと声を漏らしていく 少しムラッと来たが我慢 「痛くないか?」 「いや大丈夫だよ」 ふふっと笑うトレーナー ああ久しぶりに見たな貴様のあどけない笑顔 彼女に見捨てられてからしばらくの間 トレーナーは仕事中の間作り笑顔ばかりだった 他のウマ娘、同僚・・・だけど私には 私にだけは素の自分を見せられるようになれたのだな 「・・・心地いいや」 「随分耳垢が溜まっていただろうからな、こまめに掃除しろ」 右耳が終わり次は左耳を掃除してる時トレーナーがポツリと言った 私は不摂生だぞと軽くたしなめた 「ああいやそうじゃなくて・・・お前の声が心地いいって話」 「私の?」 「・・・彼女の声どんな感じだったのか忘れちゃってさ」 耳かきする私の手が止まってしまう 「俺の中の彼女がどんどん消えてくんだ  もうなんか自分が空っぽの人間になっていく気分で・・・でも」 「でも?」 「お前がこうやって俺に寄り添ってくれてるおかげで  俺は完全に空っぽにならずに済んでる」 どんな表情を今しているのか 私の方に顔を向けているので確認できないが 「もっと、お前の声が聴きたい」 頬の赤みが物語っていた 私は歓喜によって生じる体の震えを抑えるのに必死になった 「・・・続けるぞ」 手だけでも震えを抑えないと さもないと私の異変に気付いてトレーナーが顔を上げるから 顔を上げられたら トレーナーの中に私がどんどん入り込んでいる至福を実感し 抑えきれずに出てしまった満面の笑みを見られてしまうから 「心地いいか?」 「ああとても」 耳掃除し終わり時計を見ると寮の門限が近づいていた ここにいると時の流れがあまりにも早すぎるように感じる 時なんて止まってしまえばよいのに、なんて まるで砂糖まみれの少女コミックのような考えまで出てしまうほどだ 今度外泊許可を取ろうか・・・いや流石に私がトレーナー寮に 外泊許可取るのは他のウマ娘に示しがつかない こういう時の立場や肩書というものは足枷になるものだ 仕方ないとは思いつつ部屋から出る準備をした 起き上がったトレーナーがかかりぎみに待ってくれと声をかけた ・・・ま、まさか、泊まって行けとかそういうことか!? いきなり飛躍するのではと内心ドキドキした 「これをお前に渡したいんだ」 トレーナーがどこかに隠していたのか 細長い赤色のケースを私に手渡した 中を開けると青色の宝石の首飾りがあった 「4月6日生まれだったよな?調べたら4月6日生まれの人の守護石が  トパーズだって・・・本当なら誕生日石を渡したかったけど  誕生日石はブルーダイヤモンドらしくて、重すぎるかなって」 しどろもどろになって私のプレゼントについて話すトレーナー 私がどう反応するのか気にするかのような自信のない目 分かっているさトレーナー、今まであの女に何度か贈り物を送ったのだろう それが見捨てられてからどうやって女性にプレゼントを渡すのか それさえも分からなくなってきた・・・そういったところだろう? 大丈夫だ 「つけてくれるか?」 貴様が自信を失っているなら私が手助けしてやろう 貴様がまた自信を持てるように 「似合ってるか?」 「もちろん」 「そうか・・・お前の気持ちとても嬉しいよ」 私は彼に首飾りをつけてもらい先ほど以上の幸せを、なにより優越感を感じている かつてあった思い出の品の量から察するに貴様は定期的に私に贈り物を渡すのだろう これから、貴様がくれるもの 愛もなにもかもずっと私が独り占めしてみせる 「また明日」 去り際のトレーナーの唇と舌は一緒に食べたチョコレートの味がした 彼から貰った幸せに酔いしれながら寮へ戻る途中 私はあることの確認をしに事務局へ寄った 事務員が入室した私を見るなり声をかけてきた 「ああちょうど良いところに・・・エアグルーヴさん訪問の事前連絡が来たんですけど」 以前あるウマ娘のトレーナーの関係者が無理やり乗り込んで以来 あらゆる可能性を考えて来訪時には事前連絡を厳守とした その結果がこれだ 「貴方のトレーナーに用があるという女性が」 「却下だ」 彼の愛を絶対に守り抜くのだ