ボクのトレーナーは、いつだって不安そうだ。 選択を迫られると、いっつも困り眉になってる。キリッとしてる時はカッコいいのに。 今日だって、そう。 ボクを送り出す時も、不安気だった。 だから、無理やり笑顔にしてあげたんだ。 グニッと頬を引っ張って、もうすっごい変な笑顔。 だけど、そんな変な笑顔だけでも、勇気を貰えた。 今日まで、ずっと二人で頑張ってきたんだ。 ボクがこうしてこのレースに出れたのは、きっと奇跡じゃない。 苦難を越えて、二人で紡いだ、運命だ。 ……だから、勝つ。 勝って、この笑顔を、本当の笑顔にする。 トレーナーの頬を離して、ボクはいつも通りのニッコリ笑顔。 『絶対!三冠ウマ娘になって帰ってくるからね!だからちゃんと待っててよね!』 別れ際に言った言葉を、今になって思い出す。 あぁ、遠いなぁ。 第4コーナーを回って、駆ける。 目の前に、一人。横に、二人。背後には、何人? そりゃ、そうだよね。 ボクが怪我をしても、治ったなら。全力を出せるなら絶対勝てるって、そう思ってた。 でも、違うよね。 ボクが治してる間、他のみんなはどんどん強くなっていくんだ。 マイナスをゼロに戻してる間にも、周りはプラスを積み上げていくんだ。 これまでと同じボクじゃ、追いつけない。 ……全力を出しても、あとほんの少しが抜けない。 それが、どうしようもなく、わかるんだ。 走ってる途中なのに、世界がまっしろになっていく。 近くに迫る、観客席からの声援が、遠くに消えていく。 ……脚、重いや。 ただの夢だったのかな。 三冠ウマ娘になって、カイチョーに並ぶウマ娘になる。 いつも口にしていた筈なのに、今はそれを思うと更に脚が重くなる。 ……精一杯、ボクなりに、頑張ってきたんだけどな。 身体は勝手に、前へ前へと動くけど、動くだけ。 そんな器からすり抜けるように、ボクの心は何処かに飛んでいくよう。 まるで木に引っかかった風船みたいに、少しだけナニかに引っかかっていたけれど。 「……ッ!」 前の人が更に加速して、今度こそ?がれていった。 届かない背中。追いつけない距離が、ずっと遠くへ。 憧れが、夢が、消えていく。 ……ごめん、トレーナー。 「……帰ってこいッ!テイオォオオオオオオオオオオオオオ!!」 まっしろいせかいに、色が差した。 横目に見た観客席の中の一か所が、これ以上無いくらいに色づいてる。 見えた。見えたよ、見えたんだ。 走ってるわけじゃないのに、歯を食いしばってさ。 届くわけないのに、必死に腕を伸ばしてさ。 あはは。トレーナーの真面目な表情は、やっぱカッコいいね。 ……バカ。 うん。ボクって、ほんと、大バカだな。 待ってる人が居るのに、勝手に折れてどうするのさ。 世界は、完全に色が戻ってる。身体は、ボクの魂が轟々と唸ってる。 準備はできてるんだ。そうだよ。昨日の速さのままじゃだめなら、今日速くなれば良い。 越えればいい。昨日までのボクを、嫉妬させるくらいに! 「帰るん、だぁああああああああああああああッ!!」 みっともなく叫んででも、魅せてやる。これがボクの、究極の……! レースが終わって、ライブの準備をしに通路を歩く。 夢を掴んだ。確かに、掴んだんだ。 変だなぁ。みんなの前であれだけアピールして、ファンサービスもしたのに。 まだ、実感が無いや。 ……でも。バクバクうるさいこの胸は、さっきまでのレースが現実だって教えてくれてる。 目を閉じて、冷静になって確かめてみても、変わらないのに。 それでも、夢みたいにフワフワしてる。 「……テイオー」 聞こえた声に目を開けると、すぐ前にトレーナーが居た。 変な体勢だ。壁に凭れ掛かって、自分じゃ立てないみたい。 けど、走り出したボクを見て、壁から離れる。 ……つまり。準備オッケー!って、事だよね?そういう事だよね!? まだ少しふらついてたけど、トレーナーの胸に、思いっきり飛び込んだ! ……あったかい。あったかくて、おちつく。 思う存分楽しみながら、イタズラっぽく笑ってトレーナーを見上げる。 ……目の端に涙を浮かべながら、笑ってた。 困った顔でもなく、変な笑顔でもなく。 ボクが見たかった、本当の、笑顔だ。 「三冠、おめでとう」 ようやく、実感が宿ってきた。 夢みたいだけど、夢を掴んだんだ。 ボク、なったんだ。三冠ウマ娘に。 「テイオー」 トレーナーは、見惚れちゃうくらいの笑顔のまま、口を開いて。たった一言、ボクに言った。 「……おかえり」 その一言が全部だった。 それまで考えてた夢の事も、今も、これからやるライブも、何もかもが頭から消えて。 ただ一言。返したい言葉を、紡ぐんだ。 「ただいま!」 ねぇ、トレーナー。いっつも不安がってるけどさ。 この先、何があっても……ホントに、何があってもだよ? ボクの帰る場所は、トレーナーなんだからね! だから、その、ね。 これからの次のレースも、その次も。次の次も。その先も。 ……いつか、走らなくなる時もね? トレーナーと、ずっと一緒に居れたら、いいな。 ……なんて、恥ずかしくて、真正面からなんて言えないけど! でも、いつか。 そういうカンケーに、なりたいんだ!絶対!ぜーったい!